少々忙しくなった6月 (2014年06月24日) |
長いご無沙汰で、先日文句を言われました、コラムを毎日チェックしているのに全然更新がない、と。実はこの間、ネット担当のHが12日から21日までスペインに、わたくしを置いて行ってしまったので、その間なにもできなかったということで、半分は彼の責任も。
そこで5月30日の報告から。この日、多田美波さんという彫刻家の「偲ぶ会」が帝国ホテルでありました。今年3月に89歳でお亡くなりになりましたが、非常にスケールの大きな作品を作られる方で、なにしろ台湾生れなのです。韓国で育って、生きる空間もスケールが大きい。多田さんと初めてお会いしたのは彼女の展示会が台湾で開催されたときで、初対面からいきなり相通じるものがありました。彼女は芸術家ですから、わたくしは足元にも及ばないのですが、お互い、美しいものが好き、美味しいものが好き、そして何よりも好き嫌いが激しい、人間に対しても。ですから嫌いな人は嫌いなのですが、最初からパッと気が合って、以来お付き合いいただいておりました。
多田さんが大好きだった帝国ホテル、ロビー光壁レリーフやシャンデリアなどの彼女の作品があって、ここに来れば何となく多田さんが偲ばれる、といったことを「偲ぶ会」の献杯での言葉とさせていただきました。作品同様に、彼女自身も素晴らしいスケールの方でした。台湾の展示会では、展示作品の一つを台湾に贈呈してくださり、当時の陳水扁総統もご挨拶くださいました。いい思い出がいろいろあり、感無量でございます。
6月に入って少々忙しくなり、福岡には5泊もしています。5日が福岡での仕事、翌6日午後東京に戻り、夕刻に浜離宮でガブリエル・フォーレを聴きに雨の中を出かけるという忙しさでした。
その5日は「日本の歴史に学ぶ会北九州」主催の会合、本当に大勢の方々に来ていただいた、とても素敵な集まりでした。終了後主催者のみなさんと食事をご一緒して、話のついでに、北九州には美味しいトマトがある、でもなかなか手に入らない、というお話しをしたら、一昨日届きました。美味しい美味しい北九州・若松のトマトです。美味しいトマトが各地で生産されていますが、一番美味しいと思うのは、高知とこの北九州・若松のトマト、本当に美味しい、でもなかなか手に入りません。美味しいトマトのことをあちこちで言うのですが、ゴルフクラブで出てくるやつじゃないかなぁ、とかの反応はあっても届くことはない。でも「日本の歴史に学ぶ会」の方は、その話をちょっとしたら早速送ってくださいました。やはり、歴史を大切に思っておられる方は生き方が真っ当なのでしょうか。送っていただいたから言うわけではありませんが、何かとお気遣いいただき、本当に感謝しております。
今月は、日本生命主催の講演が九州と大阪でありました。わたくしが生命保険好き、ということはみなさんあまりご存じないのですが、危機管理は昔から真剣に考え実行してきています。わたくしの顔を見ただけで、飲めるでしょう、という人がいますが、実はあまり飲めません。人は見かけによらないもの、実は、危機管理の一つとして生命保険をとても大切に考えているのです。
11日、名古屋で十六銀行主催の「名古屋ビル竣工20周年記念講演」がありました。終わってから主だった方々と食事をしたのですが、十六銀行は岐阜の銀行、岐阜と言えば、今のシーズン当然「鮎」です。鮎のリエットが美味しい、という話をどなたかがされたので、これはまた下さいという催促ですよ、とわたくしが言うと、頭取さんが即担当者に、手配しなさい、って。食事をご一緒した全員、わたくしにも届き、朝食で美味しくいただいております。
というようなことで、それ以降ネット担当はずっと留守で、昨日12日ぶりにやっと顔を出しました。その間、わたくしは読売テレビ「そこまで言って委員会」の収録、名古屋や九州での講演などで働いて。14日には日台稲門会にも顔を出しています。日本と台湾の交流を大切にしてくださっている早稲田出身者によるこの集り、お誘いをいただいてもなかなかスケジュールが合わなくて、何年ぶりでしょう、たまたまこの日空いていて出かけました。台湾に駐在された方など、みなさん台湾を愛してくださる方々、それに台湾からの留学生たちが加わり、盛り上がりました。
当日の講師は、国交があれば大使となる、台北駐日経済文化代表処の代表で、わたくしは彼の講演は聴かずに交流会のみとしました。代表処には、馬英九政権となってからはもちろん顔を出しません。この日も、挨拶する気は全く無かったのですが、近くにいるのにちょっと子供っぽいかも、と考えて最後に少し近寄ったら、何と、プラハでご案内しました、ホテルにお迎えに行った沈です、覚えておられませんか、といきなり言われ、キャー、そういえば、ということになりました。当時は陳水扁政権、わたくしは国策顧問でしたので、現地の代表処の彼、まだ代表ではなく次席か何かだったと思うのですが、にいろいろとご案内いただいたのです。今回、本当に失礼申し上げました、といった出会いとなりました。これでは知らん顔はできません。馬英九政権となって、代表処には一切近寄っていないし、そこの人たちとどこかですれ違っても、ふん、てな顔してたのですが、プラハでご案内いただいたのでは、今後は一応礼を尽くさなくてはいけないかなぁ、というふうにも考えています。
5月20日のパーティにお招きしたひとり、産経新聞の古森義久さん、ワシントン駐在を長くしていらした、本当にベテラン中のベテランのジャーナリスト、からわざわざのお誘いをいただき、早稲田の八幡鮨に行きました。有名な老舗のお寿司屋さん、早稲田に30年以上通ったのに一度も行ったことがありません。学生時代は貧乏だったし、まあ今でも金持ではありませんが、行くチャンスなど全くありませんでした。そんなお店に、古森ご夫妻のご案内で、やっと行くことができました。奥様はスーザンさん、アメリカの方です。慶応出身の古森さんに、連れて行っていただいた早稲田のお寿司屋さん、美味しくて、リーズナブル、ということで大変繁盛しておりました。
翌日が18日、この日は名古屋での講演でした。三菱重工のあるセクションの労働組合主催の会合での講演、労働組合でお話をすることはめったにありません。旧民社党系列の教育機関で、富士社会教育センターというところがあって、そこの系列の方々とは割と意見が一致します。なにしろ、民社党は公の政党で唯一台湾独立に賛成してくれたところなのです。ただ、日本人は白か黒かが好きで、民社党のように是是非非の政党は地元の名古屋では支持率が高かったものの、全国にまでは広がらずに、最終的には党が無くなり民主党と合併してしまったのですが。でもまだそういう系列の方々が活躍されていて、それで呼ばれたのだと思います。
21日は九州、福岡大学の同窓会である有信会の総会と記念講演、前日に福岡に入り、講演翌日22日に東京に戻りました。この有信会が本当に至れり尽くせりでとても嬉しい講演でした。講演の最後にいただいた花束、作った方がわたくしのコラムをお読みになっていて、薔薇が好き、それも色とりどりの、ということをご存じで、それは見事な薔薇の花束でした。何としても持って帰ろう、と東京までエンヤコラエンヤコラと運びました。どれも美しい薔薇で、いま我が日台交流サロンを美しく飾っています。
少し忙しかったり、音楽を聴いたり、お寿司を食べたり、そして久しぶりにネット担当が現れ、やっと本コラムが更新できました。