有権者の責任 (2008年09月15日)

 

 「あの原稿でいいのか」、そんな思いが脳裏をよぎった。9月1日夜、福田首相辞任表明の実況放送を見ていて、その直前に送った、産経新聞1面に掲載されるコラム「優先席から」の原稿内容が気になったのだ。それは、50年前の金門砲撃戦取材中に亡くなられたある日本人ジャーナリスト、わたしの人生に大きな転機をもたらしてくれた忘れることのできない恩人の話しだった。講演旅行の合間をみてはこまめに考え、メモし、その日事務所で原稿を仕上げ、ほっと一息ついていた矢先に飛び込んできた電撃辞任のニュース、この機に言うべきことが他にあるのではないか、という思いにかられたのだ。

column080915.jpg
9月5日の産経新聞1面

 翌朝、産経新聞の担当者から、首相辞任にともなう内容変更の打診を電話で受けたとき、迷うことなく書き直しを決めた。原稿をぎりぎりまで待ってくれるという担当者に励まされて、すでに入っていた他の予定をこなしながら急ピッチで書き上げ、9月5日の産経新聞に無事掲載された。「このままでは日本転落」というタイトルのそのコラムは、総裁選立候補者たちの顔写真がある1面のほとんどを占めたトップ記事と並んで掲載されたことで、きっと多くの方に高い関心をもって読んでいただいたことだろう。インターネットの産経ニュース「政治」欄や本ホームページ「新聞」欄にも掲載されているので、まだの方はぜひお読みいただきたい。

 このコラムは、わたしが8月10日に上梓(じょうし)した『政治家の品格、有権者の品格』で主張したことを簡潔に述べたものとなった。福田首相の電撃辞任で、国民の目が政治に、政治家に、そして選挙に向いているこの時期こそ、その主張を広く伝える絶好の機会と考えたのだ。そこでは「民主主義における有権者の責任」に言及している。有権者は政治家や政府の責任を追及する、メディアがそれを煽る。確かに政治家に責任はある、しかしそういう人たちを選んだ有権者にも責任があるのだ。

 本では、「9月1日の福田首相の電撃辞任」や「8月29日の姫井由美子参院議員の新党参加ドタキャン!裏切り姫」を予言したかのようなことも書いた。特に、姫井由美子は国政をやる資格などない、とまで断じている。そんな人に投票した有権者に真剣に考えてほしいのだ。彼女の地元岡山の講演でも「みなさん、このなかで姫井由美子に1票投じた人がいたら反省してください」と呼び掛けている。そんな怖いもの知らずの、辛口のばあさんとして「有権者の責任」を訴えているのだ。今回のコラムはそれを言う好機だった。

 9月7日の広島モラロジー経済同友会主催の講演会でも、1,500人収容のホールをほぼ埋め尽くした聴衆に向かって、同様の話をした。このときは、用意した書籍300冊が完売し、買えなかったか方々も、サインに並んだ方々も、サインをするわたしも、それはもう大変だった。これだけ多くの方に私の主張を聴いていただき、書籍を読んでいただけるのは本当に幸せなことだ。

 「有権者の責任」は機会あるごとにこれからも訴えていく。国民に向かって耳障りなことを言う人が少なくなってしまった今だからこそ、わたしが言わなくては、という思いもある。『政治家の品格、有権者の品格』、ひとりでも多くの方に知ってほしい、読んでほしいと願っている。

ページトップへ