半世紀以上の歳月が経ち、いま「幸せな気分」 (2015年03月10日)

 

 久しぶりにコラムを更新したら、「やっと更新した、『新年あけましておめでとう』以来だ」と娘から言われました。頻繁に会っているのに、このコラムを読んでいるのです。気にしている人も結構いるよ、とも脅かされて。これから少しはまめに更新しようか、と考えています。

 今日お話ししたいのは、台湾の映画プロデューサー魏徳聖さんのことです。「海角七号 君想う、国境の南」「セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋」の監督、最近東京でも上映されている「KANO 1931海の向こうの甲子園」の脚本、プロデュースをされた方で、忙しい中を来日され、7日土曜日の会合で、Q&A方式での質問に答えてしっかり話をされました。

 とてもよい話でした。台湾の新しい世代が、わたくしよりも40近く若い人だと思いますが、素直で、正直で、心が柔らかい。そういう価値観を持つ若い人たちが台湾で出てきたことがとても嬉しかった。しかも話の90%ぐらいがわたくしの価値観とほとんど一緒なのです。わたくしたちの時代、台湾の独立運動や民主化運動を始めたためにブラックリストに載せられた人間としては、それなりに突っ張っていかなければ自分たちが考えていることを堅持できない、ブレないためにはなにがしかの突っ張りが必要でした。まあ、いまでも突っ張って生きていますが。それとはまったく違う、柔軟な生き方の若い人と、価値観がぴったり一致するところがたくさんある、それが嬉しかったのです。

 彼は「美意識」ということについて何回も繰り返し語っています。通訳もとても良かった。多田君という日本人青年でしたが。閩南語(びんなんご)だとか中国語だとかを日本語に訳せる台湾人が少なくて、日本に来ている若い人にも、日本に長く住んでいる人にもなかなかいなくて、台湾人の勉強不足や努力不足を嘆いていますが、多田君のおかげで、魏さんの考えが日本の皆さんにも良く伝わったのではないでしょうか。

 魏プロデューサーの、素直、正直、そして作品へのこだわり、彼が再三強調した美意識、そんな価値観を持った人が台湾に現れたことが嬉しい。台湾というのはかなり現実的な社会で、一番の優先順位は「政治」だったり「金儲け」だったりするのですが、それとは異なる価値観なのです。

 亡夫の周英明とかねてから何十年も散々話をしていたことは、台湾問題が政治的に解決できても、つまり台湾が台湾であるとして独立したとしても、台湾人の意識を変えるのはおそらく至難の業だろう、ということでした。でも、魏プロデューサーの話を聴いて、台湾人の意識も、この新しい世代の人たちで変わってきている、こういう人たちが多数になれば、台湾は間違いなく立派な存在になる、と思えるのです。

 彼は言います、台湾は国際社会の孤児だとよく言うが、僕たちは現実にちゃんと存在している、孤児でもなんでもなくそこに存在している、なぜそうやってどこかに寄りかかって暮らしていかなくてはいけないのか、と。そんな彼を通して、台湾人のアイデンティティ、美意識、台湾人意識といったものを確立した若者がどんどん増えている、そんなことを感じることができてとても嬉しく思いました。「思えば遠くへ来たもんだ」とはこういう心境でしょうか。半世紀以上の歳月が経ち、いま「幸せな気分」です。

春香 愛媛松山から届いた春の贈り物「はるか(春香)」

 翌8日日曜日は2・28集会、9日月曜日は北区区議会議員の椿くにじさんの決起集会と3日連続で出かけました。その間、突然寒くなったりして、頑張ってずっとずっと寄せ付けなかった風邪に少しですが取りつかれてしまい、のどをちょっとやられました。そんなタイミングで、「見た目と違う甘さ格別」という柑橘「はるか(春香)」が愛媛松山から届きました。この季節にふさわしい、なんて素晴らしい命名でしょう。感謝、感謝です。

 最後に、下村文部大臣や中川政務官などの政治家関連の報道についての質問メールがときどき届きます。わたくしの意見を尋ねたり、テレビでの発言を求めたりなのですが、そういった個人的な質問メールには一切返信いたしませんので、今後はご遠慮ください。

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